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<沿革>

(鏡稜 創立70周年記念誌より) ※編集(追記・校正など)を求めます。

日野郡立日野農林学校

大正9(1920)年度

2月1日 日野郡通常郡会において、本郡乙種農林学校設立の議、満場一致を以て可決
4月21日 文部大臣より本校設立の件、認可される
4月28日 竹内龍太郎氏、本校校長兼教諭に任ぜられる
5月14日 第1回入学式を挙行(入学生31名)
6月7日 開校式を挙行(日野郡立農林学校)
10月11日 本館並びに付属建物起工
3月31日 本館並びに付属建物落成

 

大正10(1921)年度

4月21日 新校舎及び寄宿舎南寮の落成式を挙行
     爾来、当日を以て開校記念日と定める

 

大正11(1922)年度

11月   通常県会において、県移管の議可決

 

鳥取県立日野農林学校

大正12(1923)年度

4月1日 県立となり、鳥取県立日野農林学校と改称

 

昭和3(1928)年度

11月8日 本校校旗制定式を挙行
12月26日 本校に電話開通

 

昭和5(1930)年度

10月21日 創立10周年記念式及び10年勤続職員表彰式を挙行

 

昭和8(1933)年度

3月13日 竹内校長告別式を挙行
3月31日 苅谷建男氏、本校校長に補任発令

 

昭和9(1934)年度

9月21日 未曾有の水害のため臨時休校、その他処置す

 

昭和10(1935)年度

1月6日 黒坂町制祝賀式、本校において開かれる

 

昭和12(1937)年度

4月1日 高木義衛氏、本校校長に補任発令
2月   校歌制定

 

昭和14(1939)年度

5月18日 日野郡公設運動場起工式典執行、全校参加
2月11日 皇紀2600年紀元節祝賀式を挙行

 

昭和15(1940)年度

11月4日 日野郡公設運動場完成
11月25日 創立20周年記念式典を挙行

 

昭和17(1942)年度

4月2日 第4代校長として山瀬靖氏が就任

 

昭和19(1944)年度

4月1日 女子部設立(15名)
3月31日 第5代校長として山崎儀六氏が就任

 

昭和20(1945)年度

8月28日 第6代校長として長房秀夫氏が就任

 

昭和22(1947)年度

4月1日 学制改革により「鳥取県立日野農林学校併設中学校」を設置

 

鳥取県立日野農林高等学校

昭和23(1948)年度

4月1日 学制改革により「鳥取県立日野農林高等学校」と改称。
     農林科、畜産科の両課程を設置。女子部を廃止、農村家庭別科を併設。

 

鳥取県立日野高等学校

昭和24(1949)年度

4月1日 鳥取県立日野農林高等学校と鳥取県立根雨高等学校を統合し、校名を鳥取県立日野高等学校と改称。日野農林高等学校を「黒坂校舎」、根雨高等学校を「根雨校舎」と呼ぶ
3月31日 黒坂校舎の農村家庭別科を廃止
     日野高等学校の校章を制定する

 

昭和25(1950)年度

10月4日 創立30周年記念式典を挙行(黒坂校舎)

 

昭和26(1951)年度

4月1日 黒坂校舎の定時制農業、農村家庭の両科を廃止、定時制商業課程を設置。

 

鳥取県立日野産業高校

昭和28(1953)年度

4月1日 高等学校の再編成により根雨校舎と分離し、鳥取県立日野産業高校と改める。定時制の溝口、日野上、江尾、阿毘縁各分校は、日野産業高等学校の分校として存続する。
4月1日 第7代校長として尾平正義氏が就任
     日野産業高校の発足により、校章を定める

 

昭和29(1954)年度

7月17日 北校舎(木造2階建)落成

 

昭和30(1955)年度

3月24日 木工室(木造平屋建)落成

 

昭和31(1956)年度

4月1日 第8代校長として伊木栄氏が就任

 

昭和32(1957)年度

4月1日 定時制商業科を廃止、全日制商業科を設置。(募集定員40名)
10月7日 商業実践室(木造平屋建)落成
3月31日 体育館落成

 

昭和33(1958)年度

4月1日 定時制農業科、農村家庭科は鳥取県立日野実業高等学校として分離独立。
4月1日 第9代校長として大谷治兵衛氏が就任
3月7日 総合畜舎落成

 

昭和34(1959)年度

3月27日 温室落成

 

昭和36(1961)年度

5月25日 牛乳処理室、鶏舎2棟落成

 

昭和37(1962)年度

4月1日 商業科2学級、定員100名に改める
9月10日 新校舎起工式
1月10日 大雪のため体育館渡り廊下屋根が倒壊
1月14日 大雪のため臨時休校(14〜17日)

 

昭和38(1963)年度

4月1日 家庭科1学級増設(定員50名)
4月1日 第10代校長として加藤実夫氏が就任
10月8日 本館第1期工事(鉄筋3階建)落成
3月31日 本館第2期工事(鉄筋3階建)落成

 

昭和39(1964)年度

11月14日 大山ヒュッテ落成式

 

昭和40(1965)年度

4月1日 商業科1学級減、家庭科を生活科と改称(定員40名)、農林科定員減10名
4月1日 第11代校長として荒木信平氏が就任

 

昭和41(1966)年度

4月11日 日野実業高等学校の廃止に伴い、矢戸分校とする
11月1日 農場管理室、図書館(鉄筋2階建)落成

 

昭和42(1967)年度

2月22日 大雪のため臨時休校(22〜23日)

 

昭和43(1968)年度

4月1日 第12代校長として佐々木要氏が就任
7月26日 クラブ室落成

 

昭和44(1969)年度

1月16日 大雪のため臨時休校(16〜17日)
3月9日 クラブ室落成

 

昭和45(1970)年度

5月15日 学校葬(佐々木前校長)
6月1日 第13代校長として前田利之氏が就任
10月30日 創立50周年記念式典を挙行
11月27日 三本松農場の土地造成工事完了。寄宿舎建設に着手。
2月4日 大雪のため臨時休校(4〜6日)

 

昭和46(1971)年度

4月1日 寄宿舎開設
4月30日 寄宿舎(定員28名)落成
4月30日 三本松農場、生徒宿舎、実習室、倉庫、機械器具庫落成。
5月1日 三本松農場放牧開始
11月10日 三本松農場畜産実習室落成

 

昭和49(1974)年度

9月9日 臨時休校(大雨のため伯備線不通)

 

昭和50(1975)年度

4月1日 定時制矢戸分校の募集を停止

 

昭和51(1976)年度

4月1日 農林科、畜産科を募集停止とし、新たに農林畜産科を設置(定員38名)

 

昭和52(1977)年度

7月26日 校道を拡張
3月1日 格技場竣工
3月3日 矢戸分校卒業式

 

昭和53(1978)年度

6月23日 格技場竣工式
9月24日 テニスコート夜間照明竣工

 

昭和54(1979)年度

4月1日 第14代校長として中野喜弘氏が就任

 

昭和55(1980)年度

5月24日 創立60周年記念式典を挙行

 

昭和56(1981)年度

11月5日 三本松農場に創立60周年記念植樹

 

昭和57(1982)年度

4月1日 生活科、農林畜産科の募集を停止し、農業科を設置(定員38名)

 

昭和59(1984)年度

11月26日 寄宿舎、油庫の新築

 

昭和60(1985)年度

4月1日 第15代校長として小鉄純三氏が就任
12月20日 農業実習棟を改築

 

昭和63(1988)年度

4月1日 第16代校長として秋藤宏之氏が就任
2月28日 特別教室棟、機械室棟、渡り廊下、自転車置き場改築完了

 

平成元(1989)年度

4月1日 農業科を募集停止し、産業技術科を設置(定員38名)。第2学年から産業技術科に生物応用、生産流通、システム機械の3コース。商業科にビジネス・サービス、情報処理の2コースを設けた。
9月13日 本館改修竣工
2月28日 牛乳処理室、鶏舎、木工室等を解体
3月10日 農業管理棟、温室、くん煙室改築完了

 

平成2(1990)年度

11月27日 体育館新築竣工、クラブ室竣工
11月27日 創立70周年記念・校舎竣工式典を挙行

 

鳥取県立日野高等学校

平成12(2000)年度

高校再編により日野高等学校が総合学科の高校として新設される。

日野産業高等学校、根雨高等学校、日野高等学校の3校併置となる。

新1年生は日野高等学校の生徒として黒坂校舎に入学。黒坂校舎にはアグリライフ、ヒューマンリサーチ、情報・ビジネスの3系列、

根雨校舎には人文科学、自然科学、音楽の3系列を設置


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日野郡初(発)

校門の桜 大正10年定植 何年後かに滝山公園にも植える。

大正10年より 気象観測を始める 昭和60年迄

二十世紀梨を導入、水稲の新品種、トマト、スイカ等新しい野菜や果物を普及

本格農村演劇  日野農林演劇郡内をどさ回り 大江健二氏(作家)が絶賛

日本を代表する作家と彫刻師が教師

  早川幾忠(作家)東京から疎開

  辻 晋堂(彫刻家)旧溝口町二部出身

大賀ハス(古代ハス)千葉 大賀博士より譲り受ける

学校教育と社会教育のドッキング授業(鏡陵大学)

荒神神楽クラブ日本一

ゴルフ練習場設置